日本大通りは、横浜市中心部の関内地区にあり、明治3年頃に完成した日本で初めての西洋式街路であり、日本の近代化の歴史を物語る横浜のシンボル的な道路で横浜港へと続いています。
現代ではイチョウ並木がとても人気で、クリスマスシーズンになるとイルミネーションが美しいです。
そんな日本大通りができたのは、意外な理由からでした。
幕末の慶応2年(1866年)11月26日に横浜の関内で横浜大火があり、その火元は豚肉料理屋さんだったことから豚屋火事と呼ばれました。この火事で関内の日本人居留区の3分の1、外国人居留区の4分の1が焼失してしまい、幕府は諸外国との話し合いで居留地の整備などに関する取り決めを締結することになりました。
そして諸外国との間に締結された約書の内容にしたがって、外国人居留地と日本人居住地の間に、幅員120フィート(約36メートル)の延焼防止用の街路が造られることになりました。
そして、明治3年にR.H.ブラントンの設計により外国人居留地と日本人居住地を分けるように日本初の西洋式街路が造られました、これが日本大通りです。
その通り沿いには、神奈川県庁や横浜開港資料館、横浜地方裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など、重厚な歴史的建造物が並んでおり、横浜の開港と発展の足跡をたどることができます。
また、道路の両側には約500本のイチョウの木が植えられており、秋には黄金色に色づいて美しい景色を作り出します。このイチョウ並木は、関東大震災後の復興事業で整備されたもので、横浜の復興の象徴でもあります。冬には、イチョウの葉が散った後に、イルミネーションが点灯され、夜の横浜を華やかに彩ります。日本大通りは、横浜の四季を感じることができる魅力的な通りです。
日本大通りは、横浜の歴史と文化を伝える貴重な資産であるとともに、現代の横浜の活力と魅力を発信する場でもあります。2004年に開通したみなとみらい線の日本大通り駅は、日本大通りと直結しており、駅の出口からはタイルに描かれた横浜の開港の歴史や場所に関連した絵が目に入ります。
駅周辺は、中華街や山下公園、大さん橋、象の鼻パークなど、横浜の観光スポットへのアクセスが便利です。また、日本大通りは、横浜の文化や芸術を楽しむことができる場所でもあります。通りに面している横浜開港資料館では、横浜の開港から現代までの歴史や文化を展示しており、横浜の発展の過程を知ることができます。
また、通りの近くには、横浜美術館や横浜赤レンガ倉庫など、様々な芸術作品やイベントを鑑賞することができる施設があります。日本大通りは、横浜の文化や芸術を体感することができる素晴らしい通りです。
このように、日本大通りは、日本の近代化の歴史を物語る横浜のシンボルであり、横浜の過去と現在をつなぐ、横浜の誇りです。
Contents
なんかややこしい「り」があるかないか
1870年(明治3年)に横浜の大火の反省から横浜公園と象の鼻波止場を結ぶ防火用の街路が完成。この通りは1875年(明治8年)に「日本大通り」と名付けられました。(※これがいまでも通りの名前として使われています。ちなみに市道名は日本大通となっていてなんだかややこしいですね。)
1879年(明治12年)に外国人居留地に町名がつけられることになり、当地は通りの名をとって「日本大通」と名付けられました。(※これがいまでも住所として使われています。)
1889年(明治22年)の市制施行に際して、日本大通り(にっぽんおおどおり)が設置されました。
1899年(明治32年)7月24日に山下町に統合され、山下町字日本大通となりましたが、1928年(昭和3年)9月1日に境町全域と山下町・本町の一部から改めて日本大通(にほんおおどおり)が新設されました。
なんだかわかりづらいですが、住所には「日本大通」が使われていて「にほんおおどおり」と読みます。
通り名は「日本大通り」です。ですが、同じ道なのに市道の名称は日本大通となっています。
そして、みなとみらい線の駅名は「日本大通り」駅となっていて、柔らかいイメージで「り」が付けられたとされます。
住所
神奈川県横浜市中区日本大通
アクセス
- みなとみらい線「日本大通り駅」より徒歩すぐ
- JR京浜東北・根岸線/横浜市営地下鉄ブルーライン「関内駅」より徒歩7分
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