Contents
師岡熊野神社の歴史と御神徳
神様として初めて夫婦の契りを結んだ伊邪那美尊と伊邪那岐尊を祀る結びの神社
日本の国や神々を生み出した伊邪那美尊と伊邪那岐尊は、神様として初めて夫婦になりました。その神様たちをご祭神とするのが師岡熊野神社です。夫婦の絆や恋愛の成就を祈る人々にとって、結びの神として大切な存在です。また、物事の始まりを司る「ものうみ」の神様でもありますから、開運厄除けや子育て、心願成就、産業信仰など、あらゆる願いに応えてくださると信じられています。
空から降って来た熊野大権現の神札を祀ったことから始まった関東随一の熊野信仰の根拠地
師岡熊野神社は、関東随一の熊野信仰の根拠地として知られています。その起源は、聖武天皇の時代にさかのぼります。
空から降りた熊野大権現の神札を、梛(なぎ)の大木のウロと呼ばれる大きな穴に納めて祀ったのが始まりだと言われています。その後、光孝天皇から村上天皇までの四代の天皇の勅願所となり、社僧17坊が置かれました。
明治時代には、神仏分離によって熊野神社と法華寺に分かれましたが、氏子の熱心な願いによって33ヶ村の郷社に昇格しました。周辺の神社の御霊や神仏習合文化の石碑も、氏子たちの郷土愛によって大切に守られています。
サッカー日本代表チームのマークにもなった御神紋「八咫烏」
師岡熊野神社の御神紋は「八咫烏」です。これは、熊野大神のお使いである神鳥です。
古事記や日本書紀によると、初代神武天皇が東征するときに、熊野山から遣わされて道案内をしたと伝えられています。太陽を招き、夜明けを告げる鳥として、明るい希望や必勝を象徴します。
サッカーだけでなく、多くのスポーツ選手やファンが、健康や勝利を祈ってお参りに来ます。八咫烏は、師岡熊野神社の本家である和歌山の熊野三社の御神紋でもあります。その八咫烏が3本足で足に縁があるため、サッカー日本代表のマークにもなったと言われています。
伝統神事が今も受け継がれる横浜北部の総鎮守 師岡熊野神社は、横浜北部の総鎮守として、多くの人々から崇敬を集めています。古来から伝わる神事も、今も変わらずに行われています。
その中でも、筒粥神事は、毎年1月14日に行われる歴史の古い神事です。大釜に入れた葭の筒と米で粥を炊き、その量でその年の吉凶を占います。
今年で1074回目を迎えました。また、6月30日に行われる夏越の大祓は、茅の輪をくぐって罪穢れを祓い、残り半年の無病息災を願う神事です。胎内くぐりとも呼ばれ、生まれ変わることの象徴です。
所在地
〒222-0002 神奈川県横浜市港北区師岡町1137
アクセス
電車で行かれる場合
- 東急東横線大倉山駅から徒歩8分
- JR 線新横浜駅からタクシ-10分
駐車場
約30台(無料)
収容人数
最大60名
初穂料
5万円+(ご新郎ご新婦以外の)参列者×1千円
コメント